プロフィール
はじめまして。…かな?
闘う販促デザイナーこと、米満和彦(よねみつかずひこ)です。
いま現在福岡市博多区で「販売促進」「商業デザイン制作」の仕事をしています。
1969年生まれ、妻と大好きな娘2人の4人家族です。
生まれは、鹿児島。
鹿児島大学を5年で卒業して、福岡にやってまいりました。1993年のことです。
新卒で福岡の大手印刷会社ゼネラルアサヒに入社し、「営業のなんたるか」「販売促進のなんたるか」を8年間学び、無事卒業…というか希望退職ですね。
無能ながら、当時の上司からは強くひきとめていただいたものの、当時の私は“起業する”ことだけで頭が一杯状態。
退職する前年に偶然手にした「ジャパニーズ・ドリーム―26歳上場企業社長のe革名宣言!」という一冊の本を読み、心が燃え上がってしまったのです。
この本は、今をときめく(株)サイバーエージェントの藤田社長の自伝書です。(当時からかなり有名でしたが…。)
(わずかながら)自分よりも年下なのに、この人の生き方はスゴイ! と、それまでの人生で最大の衝撃を受けてしまいました。
その頃からですね。
「インターネット」が四六時中頭から離れなくなったのは。
「インターネット」を使ってセンセーショナルに起業したい! その想いだけで会社を辞めていました。
しかし、そこから人生最大の地獄の生活が待ち受けていました。
誰もが納得する企画書を作成して、ベンチャーキャピタルから融資してもらい、一挙に巨大サイトを立ち上げようと思案していたのですが、全くアイデアが出てこないのです。
もちろん、当時の収入は0(ゼロ)ですから、自宅にも居づらく、近所のマクドナルドに入り浸り、頭をひねるのですが、全くひらめかない。
今考えたらアホみたいな話ですよね。
屋内に閉じこもり誰とも会わずに、もんもんと頭をひねっても、アイデアがまとまるわけがありません。
次第に、考える行為もやめて、毎日マクドナルドにボーッと過ごしてましたね。
まさに病気です。
やがて、カバンの中には就職本が入ってました。
「起業なんて無理! 一度リセットしよう。」
再就職を考え始めていました。
その間、たったの2ヶ月。
たったの2ヶ月なのですが、何よりもツライ時期でした。
「死のう!」とは思わなかったけれど、頭の中が真っ白でした。
そして、会社を辞めて2ヶ月後、妻に「再就職をしようと思っている。」と打ち明けました。当時、上の娘も生まれていましたので、収入ゼロの痛みは誰よりも妻が感じていたはずです。
しかし妻からは意外な言葉が返ってきました。
「あんたが毎日仕事をしていないのは感じていたよ。収入ゼロでもとりあえず少し貯えがあるからもう少しゆっくりしたら?」
心の中で号泣してしまいました。
「俺はとことんアホやなー」と。
ちょうどその頃ですね。メールマガジンの存在を知り、『販促アイデア大全集』を創刊したのは。
「自分の本当の武器は何なのか?」
「今の自分に出来ることは何なのか?」
その答えはゼネラルアサヒで8年間学ばせていただいた「販売促進」しかないことに気付きました。
それからです。少しずつ好転し始めたのは…。
友人のデザイン会社でデザイン制作を学ばせていただきながら、少しずつ仕事が取れ始めました。
そんな矢先、2001年12月に同文館出版から一通のメールをいただきました。
その内容を見てビックリ!
メルマガ『販促アイデア大全集』を書籍化したいという内容。
心の中に小さな光が見えたことを覚えています。
でも、書籍の中の一部への執筆依頼かもしれない。
もしくは出版依頼という名目による自費出版のお誘いメールかもしれない。
…なんていらぬ疑念を抱き、とりあえず東京でキチンと話を聞くことしました。
打ち合わせは1時間くらいでしたね。
出版依頼は正式なものでした。
打ち合わせ中は平静をよそおいつつ、担当の古市さんと別れた後、こぶしを握りました。小躍りしたい心をおさえつつ駅まで歩いていると、目の前に(またもや!)マクドナルドがあったのです。
おいしかったなー、あの時のコーヒーは。
あれからなんだかんだで、今2人のスタッフがいます。
少しずつですが進化しているような気がします。
まだまだ成功にはほど遠いですが、最近ようやく起業できたんだなぁという実感があります。
でもまだ歩みを止めるわけにはいきません。
仕事はもちろん、私の人生を変えてくれた『販促アイデア大全集』も私のライフワークとして死ぬまで続けるつもりです。
とっても思い入れがある『販促アイデア大全集』を今後ともよろしくお願いします。